仮面ライダーthe First ― 2005/11/17 23:33
仮面ライダー1号、2号を現代版にアレンジ、そして石ノ森章太郎の原作に近いストーリーとして再構成された映画です。
プロデューサーと脚本が平成ライダーの人だし、平成ライダーの伝統?イケメン系俳優2人を主役にしている事から油断していましたが、冒頭見事に裏切られました(笑)いきなり「せまるぅ~ショッカー♪」です。まさか平成の(リメイクとはいえ)仮面ライダーで子門正人御大の歌声が出てくるとは予想していませんでした。観るまでは全体的に現代風にこジャレた感じにアレンジしているものと思い込んでいたのですが、私的にはもう冒頭の「レッツゴーライダーキック」でかなり引き込まれていました(笑)でも、どうせなら1番くらいは全部流して欲しかったかなあ。ショッカーの大幹部には故天本英世(死神博士)が過去の映像をデジタルで再構成した形で出演、宮内洋(風見志郎=V3)がなんと立花のおやっさん役で出演するという泣かせるキャスティングです。
ストーリー的には本郷猛がショッカーに拉致・改造され、ショッカーの怪人(!)として破壊工作をするも、作戦中に自我を取り戻し以後ショッカーと戦っていく、という昔のストーリーのダイジェストの様な感じですね。残念ながら劇中では「仮面ライダー」という呼称、ライダーブームの火付けとなった「変身」はありません。しかしながら平成ライダーで扱わなくなった改造されたが故の苦悩はしっかりと受け継がれています。
「変身」について補足すると、劇中本郷猛および一文字隼人は戦闘時にバッタ型の強化服を装着し、仮面を被ります。これは原作での設定に準じたものになっています。それについては特に異論は無いのですが、劇中での表現は「半端」だったと言わざるを得ません。なぜなら、戦いになると上着を開き変身ベルトを出し(カメラが寄ると)風車が回った瞬間、もう通常の衣服から強化服に変わっています。平成ガメラなどのように過去の作品を現代化した時、過去での矛盾に対して答えを出す場合があり、おそらく今回「変身」という記号を使わず「装着」という形にしたのもその答えの一つなのだと想像しています。(変身すると通常の衣服はどこにいくの?とか変身前の生物的な肉体がどうして機械的なものに変わるの?など)が、こういう半端な表現にしてしまうのならば、むしろそのまま「変身」をさせてしまった方が良かったのではないかと、ここは残念でなりません。
本郷猛が最初はショッカーの怪人として働かされてしまう、というのは過去の矛盾の答えとしては正しいかな、と思います。恐ろしい存在であるはずのショッカーが脳改造を行う前に本郷を変身させ、逃げるための力を与えるなどというあまりにアホな行動は取ってはいけないのです(笑)
それから、不治の病に侵されている2人の恋愛話は要らないと思いました。(怪人側の)改造人間の悲哀をさらに描こうとしていたのかもしれませんが、90分という短い時間の中では消化不良でした。主役2人+ヒロインをもっとしっかり描いた方が良かったんじゃないかなあ、と。
CGを多用している平成ライダーに対して、FirstはまったくCGを使っていないとはいえないものの、かなり控えめでした。役者のアクションが主体でCGライダーアクションに慣れてしまった目には逆に新鮮に感じると思います。何より現代アレンジされた1号、2号、怪人たち、そしてサイクロン。カッコよすぎです。仮面ライダーのDVDを買うとしたら今年は断然こちらですね。映画版響鬼はメタメタでした…。
Completed StarWars(ネタバレ) ― 2005/10/27 00:45
Episode3 「シスの復讐」のDVDの発売も近くなったのと、それにあわせ廉価版が発売されるとのことでなくなる前にと思い、トリロジーボックスを購入。やっぱボーナスディスクが見たかったですしね。ずっと前に特別編ビデオボックスも買ったので都合2回目のボックスとなるわけですが(^-^;) ボーナスディスクは相当ボリュームあるのでまだ見切れていませんが、いろいろ裏話が見れて面白いです。驚いたのは最初ハリソン・フォードはハン・ソロにキャスティングされていなかったばかりか、オーディションすら受けさせてもらえなかったとか。予算的な問題(と明言してたか不明)と新人を使いたいということから、当時すでにアメリカングラfフィティに出演し、新人では無かったハリソンはオーディションに来た役者の読み合わせ担当だったとか。で、読み合わせているハリソンを見ていたルーカスがハリソンこそがハン・ソロのはまり役だと気づいて起用したというエピソードがあり、面白いです。運命の分かれ道っていうか人生の転機ってあるもんですねえ。
でもって改めて旧3部作のうち、Ep4「新たなる希望」と6「ジェダイの帰還」を見直しました。Ep3を見た後でのEp4は制作当時構想だけしかなかったEp3のストーリーを受けての4だったハズなのに、アレック・ギネス(オビ・ワン)の演技が寒気するくらい繋がる感がありますね。セリフには微妙に繋がらないところもありますが、何より(久しぶりに)R2と3POを見たときの目が「ついに時が来た」と語ってるように見えてしまいます(^-^;)。2体のドロイドはオビ・ワンにとっては旧知の存在であることが新3部作で明らかになってますからね。(そういえばおしゃべりな3POはアナキンの事を覚えてないけど、R2はメモリーを消去されてないから覚えてるんですよね。) 次に、ヴェイダーとオビワンの対決シーン「ついにお前の弟子は師匠を超えたぞ」というのは新3部作での確執の結果を物語っているように思います。 能力というか素質ではオビワンより上であったアナキンは常に自分がオビワンより劣った地位にいるのが不満でしたからね…。オビワンとアナキンは師匠と弟子というには年が近すぎたのでしょうね。もしクアイガンが死なず、師匠となっていたのなら、「フォースにバランスをもたらす」のが早くなっていたのかもしれません。後のオビワンとルークの関係を見れば、オビワン自身にも老成する部分が必要だったのでしょう。本来ジェダイであるはずのオビワンは怒りをもってはいけないハズですが、アナキン相手だと明らかに感情的になってしまっていますし。
Ep6、ジェダイの帰還。これはネットの感想でヴェイダーが暗黒面から救われ、ラストシーンで精神体として表れる時、それが若き日のアナキン(ヘイデン)になっているということで怒ってる人が居て、気になっていました。見たところやっぱりそうなってますね(^-^;)。ルーカスの解説を見ればその理由もわかるのですが、当時の役者さん、この部分だけにしか出てなかったのに存在を消されてしまうというのは…。製作者であり監督であるルーカスですからいろいろ改変する権利はあるでしょうが、当時の役者さんも一緒に映画を作った仲間なわけですから、ちょっとなあ、と考えてしまいました。(あ、でもEp4でのジャバだった人も実写の役者からCGに差し替えられているのか・・・。でもジャバの姿が4と6で違って辻褄合わないから差し替えたのとは訳が違うし…。) Ep6を見終わるとき、ルーカスが解説で「Ep4-6だけを見た場合ルークの物語と思うかもしれないが、全てを見終えたとき、これはアナキンの物語だったという事に気づくだろう」と言います。確かにそうなんだなと実感します。結局皇帝を倒すのはルークではなくアナキンです。ルーカスは当初ヴェイダーがルークを手元に呼び寄せようとした理由は「ルークに皇帝を倒させ、しかる後に自分がその座を奪う」事だったそうですが、まあ、シスである以上は確かにそうなのでしょうし、Ep1-3を考えなければそうかもしれませんが、私的には皇帝に倒れて欲しいと思う根底には「パドメを救うためと騙され暗黒面に引きずり込んだ」張本人への復讐心だったのでは無いか、と感じました。 直接皇帝に手が出せなかったのはそれだけ皇帝の精神支配力が強かったのでしょうね。そのために支配されていない息子が必要だったと。最終的に 皇帝を倒すことができたのは、そういった復讐心や野心が全て吹き飛びただただ「息子を守りたい」という一心で行動したからなのでしょう。この瞬間本当の意味でアナキンはジェダイナイト(マスターと言っても良いくらい)になり、皇帝を倒すことができたのだろうと解釈しています。
おおよそ全てのピースが組み合わされ、20数年に渡る自分の中でのスターウォーズがEp3を見て終わりではなく、改めて旧作を見ることで完結することになりました。 私が初めて劇場でスターウォーズを見たのが「ジェダイの帰還」でこれは亡き父と見に行っていまして、そうした映画がいま子を持つ時になっても同じシリーズが見ることができる感慨の様なものを感じていました。しかし自分の子供たちは(Ep3を見ていますが)そういう感慨を感じることは無いんだな、と ちょっと残念に思っています(^-^;)
FF7 Advent Children ― 2005/09/17 00:31
14日にamazonから届いてました。 映画版ファイナルファンタジーがこっちだったら、スクエアが傾くことは無かったのかなとか、いろいろ考えてしまいました。 FF7というゲーム自体がかなり人気ありましたからね。海外でも人気が高かったという話も聞きます。映画のFFも嫌いじゃないんです、むしろ好きだったりします。ただ監督さんの思いが強すぎて映画は娯楽だっていう部分が見えなくなってたんでしょうね、映画としては人気無かったみたいですね。 FF7 Advent Children(以下AC)は正直言ってストーリーは単純です。全体の2/3くらい戦ってるだけですから(笑)。少し前にゴジラ:ファイナルウォーズを見たときに感じたことと似てるのかもしれません。畳み込みの連続の限界を超えるとある意味面白い、というか(ゴジラ:ファイナルウォーズはなんかもう闇鍋みたいなテイストで、根強いゴジラファンは怒ってるみたいですね(^-^;))。
映像表現としては…SFというかファンタジーとアクション系の映画の中ではSWとLOTRを除いてこれだけ時間が経ってもマトリックスの影響から抜け出せないのはどうなのかな、と思います。これはACだけの話じゃないんですけどね。タイムスライスやイマジナリーラインギリギリの視点回転など、正直もう食べれない感があり(^-^;) 個人的に良いなと思ったのはハイウェイバトルのシーンだったりします。マトリックスの呪縛から抜け出せてないと言って置いてなんなのですが、自分の見た映画の中で好きなシチュエーションというのがハイウェイ上でのバトルなのですが、ターミネーター2で始まり、マトリックス:リローデッドでそれを超え、ターミネーター3ではリローデッドどころか前作を超えられず消化不良気味だったのですが、ACはリローデッドを超えた感があります。CGキャラだから実写以上のことができるのは当然なんでしょうけども(^-^;) 真龍様とのバトル、復活してしまう彼(伏せてもあまり意味無いかもですが一応(笑))とのバトル、そういったところでのキメに必ずこれはリミットブレイク技なのでは?という必殺技が出てくるのはファンサービスなんでしょうね。BGMもゲームで使われた曲が同じようなシチュエーションで使われますので ゲームをしているような錯覚が…(笑)
できればもっとストーリーを厚くして欲しかったところですが、FF7というゲームを映像化したものとしてはこれで良いのかな、と。